少年隊ファン活動

2022年1月31日まで少年隊の音源・映像のデジタル配信を要望する署名活動を行っていました。その活動メンバーを中心に、少年隊への想い、お三方の活動記録などを綴っています。

東山紀之さん55歳の誕生日に寄せて②(中島。さんによる寄稿)

①(前編)はコチラから
shonentai.hatenablog.com



 私がファンになった時、少年隊はデビュー10年目を迎えていた。リアルタイムでの露出は少なかったが、その代わり過去に遡り10数年分の雑誌、パンフ、ビデオ、ラジオ等々を入手し、むさぼるように彼らを知っていった。そんな中で私の推しメン、東山さんが他の二人に比べてあまり家族や家庭の話をしないことが少し気になった。また、インタビューなどでストイックが過ぎて若干鼻につくような印象も感じていた。ファン心理から色々知りたくはなるが過去の記事以上の情報はないし、あれだけかっこ美しかったらちょっと天狗になってもしゃーないわーなどとファン友達(奇跡的に二人ほど東山さんファンが身近にいた)とキャーキャー言いながら私の10代は過ぎていった。20代は様々なライフイベントが押し寄せてきて、目立った活動がなくなった少年隊とも距離が空いてしまった。30代はさらにあわただしく過ぎ、月日が流れ、錦織さん、植草さんの退所報道を聞いた1年前、20年空いた時間をまた遡るように少年隊に引き戻された。出戻った私には、昔集めた関連グッズはほぼ何も残っていなかったが、とにかく自分が知らない彼らを知りたくて東山さんの自伝『カワサキ・キッド』と限定盤を入手した。


 DV、ヤングケアラー、子供の貧困、アダルトチルドレン、・・・今では耳にすることも多いこれらのワードが、あの東山さんと結びつくとは思いもよらなかった。一方で昔感じた『違和感』はこれだったのかと、ストンと落ちた。親の多額の借金を何年もかけて返した事、祖父に負わされた傷の後遺症のためにストレッチや筋トレが欠かせない事など、苦難の数々を知った時、これまでのイメージとのギャップに愕然とした。特に子供の頃の東山さんを想うと、たまらなく胸が痛くなった。顔も知らない父親、裕福ではない家庭、そしてタレント性なんて自分にはないと思っていた東山少年が、才能と魅力に溢れた錦織少年、愛に満たされ天性の明るさを持った植草少年と出会った時、どれほど彼らをまぶしく思っただろうか。そんな彼らと『仲間』になり、どうにか追いつこうとレッスンを重ねた日々。暗い家庭から輝かしい世界へ飛び立つため、みにくいアヒルの子は必死で水を掻き、努力で気品や知性すら身につけ白鳥になった。Mr.パーフェクト、Mr.ストイックはむしろ、自分に自信がなく努力することでしか己を奮い立たせる方法を知らない人だったのだ。


 しかし東山さんの真に素晴らしいところは、そんな悲壮感を感じさせないしなやかで強い精神だ。私自身を振り返れば、人間関係で傷ついた自己肯定感をうまく扱えず、十分な努力もなしに鬱々としていた時もある。けれど東山さんは誰も責めないし、むしろそこから感じた事、得た反省をポジティブに次の自分へ活かそうとする。


「何事も他人のせいにせず、自分でのりきっていく人間であれ」


『漫画の様なアイドル』東山紀之は、20年を経て私の道標、ロールモデルの一人となった。少年から青年、壮年を迎え、1人の人間のありようを示してくれる存在だ。


 漫画の中の少年達はずっと仲間と一緒だが、現実の少年達は2021年に新しいステージへ進んだ。限定盤やテレビ番組のコメントで、東山さんがどれほど少年隊にプライドを持ち、錦織さんと植草さんの存在に感謝していたかを知る度に私は泣いた。そんな大切なものが彼から離れてしまうのかと切なくなった。錦織さんと植草さんが一緒に活動する姿はもちろん嬉しい。ただ少し、勝手に『東山さん、寂しがって無いかなぁ』なんて思ってしまう。東山さんが飛び切りの笑顔でリラックスした姿を見せてくれたのは、いつも二人の前だったから。

 でも東山さんは言う。


「ただノスタルジーに浸っているのではなく、過去を見つめたあとこれから何を目指すのか、何をしていくのかが大事」

 一人事務所に残った今後も、きっと成長する素敵な姿を見せてくれるはずだ。そして55歳を迎える彼の人生が、穏やかな幸せと安らぎで満たされることを願わずにいられない。


カワサキ・キッド』は絶版になっています。限定盤の素晴らしいブックレットも今は入手困難です。東山さんと少年隊の軌跡を伝えていくためにも、楽曲や書籍のデジタル化及び配信を切に望みます。


文責:中島。 (@VSlfK5gEGIZ6rM2) | Twitter
編集:ぽんこ (@@ponko19851212) | Twitter